リノベーション・デザインリフォームは南青山・厚木の一級建築士事務所エンラージ

創業物語

私は小学校の頃から社長になる、という夢を持っていました。
それは職人をしていた父の影響もあったと思いますが「職人=社長=自由気ままに好きな事ができる」というような他愛もないものでした。

■フリーター時代

高校を卒業していくつかの職を転々としました。いわゆるフリーターです。
でも私の場合「気楽なフリーター」ではなく、「必死で働くフリーター」でした。
転職を繰り返したのも少しでも時給が高いところで働きたいという思いからです。
その中でも一番長く続いたのがウェイターの派遣会社でした。

派遣先は主にホテルやゴルフ場、料亭、結婚式場のウェイターです。
時給は1000円~1800円ぐらいで派遣先によって異なりましたが他のバイトの1.5倍から2倍の時給をもらっていました。
深夜と早朝は割り増しになるので、朝6時から夜中までいくつもの職場を掛け持ち、働き続けました。

アルバイトを通して学んだ事は沢山あります。
職場における人間関係は、円滑に業務を進める上でとても重要です。
時間管理も重要です。
1日平均で3現場はこなしていましたが、遅刻は一度もありませんでした。
1回でも遅刻をすると二度と声を掛けてもらえなくなる派遣会社のルールがあったからです。
時間を守れない人にまともな仕事が出来るわけがない、という考えからです。

そんな中で「人生このままでいいのか」という不安に駆られるようになったのです。
我武者羅に働き月給60万以上を18歳~20歳まで稼いでいましたが所詮アルバイトです。
安定したいという想いが沸いてきました。

■初めての就職

21歳で大手コンビニ会社へ初めての就職をしました。
配属された部署は自宅アパートから10分で通える距離で、8時40分に家をでて、9時から仕事を始め5時には帰宅。5時15分には家でテレビを見る平凡は毎日でした。

給料は同世代の標準的金額をもらっていましたし、有給も使え居心地は悪くありませんでした。マネージャーや上司は皆いい人でした。
でも何か物足りなさを感じ、一年半で退職しました。

■月収100万円に挑戦!

24歳で外装リフォーム会社に就職。飛び込みの営業会社です。
面接に行ったきっかけは「あなたも月収100万円に挑戦!」という求人募集です。
そこはバリバリの営業会社で関東一円に22店舗かまえ、当時、業界では最大規模の会社でした。
今まで営業なんてやったことはありませんでしたし、リフォームや住宅の事も全くといっていいほど興味はありませんでした。ましてや飛び込み営業なんて自分に出来るのだろうか、と不安はありました。でも入社したからには先輩のいうことを忠実に実行して月収100万円に挑戦してトップを採ろう、と本気で思いました。

入社3ヶ月目にそのときがやってきました。
私は営業社員400人中2位の成績で給料も100万円以上いただきました。
営業シロウトの私がその様な好成績を取れたのも、応援してくれた先輩や同じ営業所の仲間たち、事務さんや職人さん、そして何よりお客様に恵まれたことが要因です。
特に細屋先輩には沢山のことを教えて頂きました。今でも感謝しています。

結局5年後にその会社は倒産したのですが、最後までお世話になりました。
その間に支店長や本社の総務部等、いい経験をさせていただきました。

■ゼロからの創業

28歳で創業。
今考えれば随分簡単な気持ちで創業したなあ、と思います。前職で知り合った部下数名で会社を起しましたが、いざ会社をスタートとなると収入の不安や、考え方の違いで一人辞め二人辞め、最終的には全員辞めていき、私一人での創業となりました。
前職では倒産寸前のため、会社からの給料は支給されませんでした。そのため貯金を全て使い果たしていたので、自己資金は全くなく消費者ローンで借入れをして生活費と運転資金をまかないながらの自転車操業です。
借りていたアパートを解約し風呂もエアコンもない幸町の事務所に住み込み、成功することだけを夢見て今まで以上に頑張ろうと決意しました。

創業二年目には従業員も7名に増え、年商1億8千万まで成長しました。ようやく事務所は普通の事務所らしくなり看板も付いて、エアコンや湯沸かし器も買えました。湯沸かし器が付いた日に事務さんに「やっとあったかいお湯がでるんですね!」と喜びに溢れて言われたことは今でも鮮明に覚えています。
看板はカレンダーの裏にマジックで書いて窓にセロテープで貼ってある、今思えばいかにも怪しい会社でした。でも当時はそんなこと全く気にしていませんでした。

■事務所移転と小田原支店

3年目には社員も10名に増え手狭になった幸町の思い出深い事務所から、酒井の40坪もある事務所に移転しました。
また同じ年に小田原支店を出店して乗りに乗っていました。酒井の事務所は40坪の事務所と20坪の倉庫が付いていて車も10台は止められる立派なテナント事務所でした。小田原支店も順調に新人が育ち半年後には10名になっていました。

でもうまくいったのは最初の一年だけでした。
小田原支店を任せていた店長が部下を引き連れ独立し、小田原支店は閉鎖。
酒井の事務所でまた1からの出直しです。
その頃、私には悩みがありました。今までのような飛び込みの営業スタイルでは会社が続かない、他のやり方でお客様を集めるいい方法は無いだろうか。

■飛び込み営業から反響営業へ

当時から世間では、悪徳リフォームや欠陥住宅のニュースで毎日のようにマスコミをにぎわしていました。その加害者であるリフォーム会社のほとんどが飛び込みスタイルで営業をかける会社です。私達の会社は適正価格で契約し、真面目に施工をしているにもかかわらず、飛び込み営業というだけで悪徳とか手抜き工事、というイメージで見られるようになりました。

そうなると受注がなかなか採れません。頑張ってくれていたベテラン社員が徐々に自信を失い辞めていきました。つられて新人も辞めていき10人いた酒井の事務所は5人まで減りました。 もう違う方法でお客様を見つけないと本当に会社がなくなってしまうと不安が募ってきました。 そんな時、新聞の折込チラシを目にしました。そのチラシはリフォーム会社の手書き風のチラシです。正直、私はこんなので反響なんかあるのかな?と思いましたが、藁にもすがる思いでマネしてみたところ、そこそこの反響がありました。

ユニットバスやシステムキッチン交換、増築工事の反響がチラシを撒いただけで採れるのです。それまで一軒一軒地道に歩いていた私たちにとってまさしく目から鱗でした。
チラシを撒いて反響を採る営業スタイルには直に慣れました。それまでの飛び込みの苦労を考えると楽だったし、楽しく仕事が出来ました。

■反響営業から来店型ショップへ

チラシ反響に切り替えてから2年目になると新たな問題が出てきました。
私たちは木曜日の朝刊で新聞折込をしていたのですが、ある木曜の朝、私達が創ったチラシとそっくり同じチラシが5枚折り込まれていました。
市内の同業者やガス工事店、サッシ屋、設備屋がこぞって真似をしたのです。
当然電話は鳴りません。こればかりは誰にも文句を言えませんし私自身も他社チラシのマネからスタートしたのですから。

悩み考え抜いた末、大きな決断をしました。
リフォームショップを創る。
お客様に顔を見せて選んで頂く。私たちの仕事振りや会社を見てもらい選んでもらう来店型リフォームショップを創ろうと決めました。リフォーム業界はまだレベルが低くクレームは絶えません。ですから消費者は業者選びを慎重に成らざるを得ません。
先ほども書きましたが悪徳リフォームや手抜き工事などの被害は後を絶たず、現代では社会問題にまでなっています。
真面目に商売をしているのに悪徳業者と疑われることも少なくありません。
だから少しでもお客様に私達を知ってもらいたくて、真面目に商売をしていることを証明したくて来店型のリフォームショップにする決断をしました。

私は一つ決めると行動は早いので直に不動産屋に行きその日のうちに新しいテナントを決めました。スタッフの皆も戸惑いはあったと思いますが私の前向きなエレルギーに誰もが引っ張られて付いて来てくれました。

■H15年リフォームショップオープン

H14年12月に厚木町に引越し、翌年1月からリフォームショップをオープンさせました。
リフォームショップといってもカタログと施工事例の写真があるだけです。
それでもお客様は少しずつ入るようになりました。働く人の顔が見えるリフォームショップが地域の皆様に受け入れてもらうのに時間は掛かりませんでした。

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